word the poet to his dear ones composed: "Hinder Bortier, it is per stages[#「Hinder Bortier, it is per stages」は斜体]. The flower of Heaven, once dreamed; now enabled[#「enabled」は斜体]. Farea tell[#「Farea tell」は斜体] happy field; where joy forever dwells. Hail quake viles[#「viles」は斜体]. Lo, unexpected tort[#「tort」は斜体]"

〔訳文〕 彼は舞台の上よりして、詩聖がその最も愛するもののために作りし章句を唱わん。――隠れたる最奥の紅玉石よ、そは凡ゆる場面にあり。天国の花よ、曽て夢みしも、今はなされたり。老いたる序詞役共は、幸ある園の事を語る。そこには、喜びとわに住むとかや。いざ、劇評家共を戦かせよ。見よ。この予期せざりし鋭さを。

 幡江は、訝しさを満面に漲らせて顔を上げ、
「これが、一体どうだと、仰言るんですの。一向に、何んでもないでは御座いませんか」
 そうは云ったが、法水の唯ならぬ気配に圧せられて、ただただ幡江は、相手の開こうとする脣を、凝視《みつ》めるばかりであった。
「所が、幡江さん、これを隠伏決闘《コンシールト・デュエル》と云うのですよ。つまり、嘲罵挑戦の意志を、反対に書き表わして、それを対敵に送るのです。然し、秘密の感受性に富んでいる人間なら、ほぼこれに傾斜体文字《イタリック》が混っている――それだけでも、妙に唆られて来るじゃありませんか。僕は散々捻った揚句に、とうとう電信符号記法《モールス・アルファベット・クリプトグラフィ》で、相手の意志を曝露する事が出来ました。大体|電信符号《モールス・アルファベット》では、Dが線一つに点二つ(―‥)なのですから、短線がT、点二つがIとすると、DはTIなり―になってしまうじゃありませんか。つまり、その筆法で、傾斜体文字《イタリック》の何処か一個所を変えて行くのですよ」
 と法水は、傾斜体文字《イタリック》の下に、すらすらその解語を書き添えて行った。
 すると、見る見る不思議な変化が現われて、はては天国が奈落と変り、その紙のあちこちから見るだに薄気味悪い、爪の形が現われ出たのだった。

 "Hinder, Border, Upper Stages, the flower of Heaven, once dreamed; now fabled. Farewell, happy field; where joy forever dwells, Hail, quake stiles. Lo. unexpected mort.

〔訳文〕 奥、前、そして高舞台よ。天国の花よ。そは曽て夢みしかど、今や欺かれたり。さらば幸ある園、喜びとわに住めど。来たれ、列柱を震い動かさん。見よ、予期せざりし獲物の死を報ずる角笛を。

「ねえ幡江さん、奥《ハインダー》、前《ボーダー》、高《アッパー》――と、この沙翁舞台の様式ですが、それを一生の夢に描いていた人と云えば、まず貴方のお父さん以外に、誰がありましょう。然し、法王アレキサンドル六世はカテリナ・リアリオから、毒を含んだ手紙を送られたとか云いますが、まさにそれを読んだとて、死にはしなかったでしょう。だがこの手紙には、予告している殺人にも優る、効果があるのです」
 と風間の狂熱に魅せられたかの如く、法水は瞬きもせず云い続けた。
「ねえそうでしょう。真理は憎悪を生むと云います[#「真理は憎悪を生むと云います」に傍点]。そして[#「そして」に傍点]、虚無と死とは[#「虚無と死とは」に傍点]、その強い衝動から一歩も離れ去る事が出来ないものなんです[#「その強い衝動から一歩も離れ去る事が出来ないものなんです」に傍点]」
 その紙片には、彼女にとって一番懐かしい人の手が、以前につけた跡をとどめている。幡江はさながら、屍体でも覆うかのように、その紙片を二つに折って見まいとした。
 が、その堪え難い苦痛を、どうしても取り去る事が出来ないように思われて来るといきなり癲癇のような顫えが襲い掛かって来た。
「ねえお父さん、貴方は私を戦かしている、恐怖の事などは考えられないのでしょう。ああ、いつまでも、あの意地悪い幻にとりつかれているのでしょうか。いまも貴方のお声が――あの圧しつけるような響が、まざまざと耳に入って参ります。でも私だけには、見ない振りをして、通り過ぎて下さるでしょうね。お父さん、あの最後の夜、貴方は私達を前にして、斯う云う言葉を仰言いましたわね。この劇場には形体も美もなく、云わば、幇間《ほうかん》は如何なるものであるかと云う画幅に過ぎない――と」
「幇間――。ああ貴女も、お父さんと同じ皮肉を僕に云うのですか。|此処に穢わしき者あり、彼処へ去れ《ソルディ・スント・ヒック・ベレンダ・スント・ソルディダ》――なんでしょう。ハハハハ」
 そう云って法水は、空虚を衝かれたような気持を、わずかに爆笑でまぎらわせてしまった。が、その時、開幕の電鈴《ベル》が鳴った。
 そして、次の幕――「エルシノア城外の海辺」が始まったのである。
 然し、その幕から始めて、観客には見えないけれども、暗澹とした雲が、舞台を一面に覆い包んでしまった。
 俳優達はどれもこれも、演技が調子外れになり、台詞の節度がバラバラになった。そして、詰まらない事が神経をたかぶらせて、いっそ何事か起ってしまえば、この悪血が溜り切った血の管が、空になるだろうなどと思われもするのだった。けれども、その後の二場は何事もなく終り、愈《いよいよ》オフェリヤ狂乱の場となった。
 所が、幡江は、あのような打撃をうけた後のためか、それとも自分の現在が、オフェリヤに似ていて、心の奥底に秘められた、悲しい想い出を呼び醒まされたためでもあろうか。花渡しの場になると、彼女自身が、或はそうなったのではないかと思われたほどに、狂いの迫力が法水を驚かせてしまった。
 そして、一人一人に渡す花にてんで違ったものを持ち出したのを見て、三人は秘かに顔を見合わせたのだった。

(オフェリヤの台詞《せりふ》)「さあ連理草《スウィート・ピイ》(レイアティズに)、別れってこと、それから三色菫《パンジイ》、これは物思いの花よ。あなたには茴香《ういきょう》(王に)それから小田巻。あなたには芸香《ヘルウンダ》(王妃に)、私にも少しとって置こう。これね、安息日の祈草と云うのよ。それから、あの方には、雛菊を上げましょう。ああ、この迷迭香《ローズ・メリー》でもフルール・ドウ・ルシイ――いいえ|百合の花《フルール・ド・ルス》でも、どっちでもいいのだけれどきっと凋《しぼ》んでしまうにきまってますわ、父の没《な》くなりました時、それは立派な最期でしたけど」

 と、弥生の春の花薔薇、いとしのオフェリヤは、そうして残りの花を、舞台の縁にふり撒くのだった。
 がその時、幡江は暫く前方の空間を瞶めていて、そこに何やら霧に包まれながら遠退いて行くようなものが、あるかに思われた。
 続いて舞台が廻ると、そこはエルシノアの郊外。いよいよ女ホレイショが、オフェリヤを小川の中に導く、殺し場になった。
 そこは、乳色をした小川の流れが、書割一体を蛇のようにのたくっていて、中央には、金雀枝《えにしだ》の大樹があり、その側《かたわら》を、淡藍色のテープで作られている、小川の仕掛が流れていた。その詩的な画幅が夢のような影を拡げて、それを観客席に押し出して行くのだった。
 然し、その熟《う》れ爛れた仲春の形容は、一方に於いては、孔雀の肢体そのものだった。
 孔雀は丈《せい》高く、全身がふっくらした肉で包まれていて、その眼にも脣にも、匂いだけで人の心を毒すような、烈《はげ》しいものがあった。得も云われぬ微妙な線が、肩から腰にかけ波打っていて、孔雀は肥った胸を拡げ、逞ましいしっかりした肉付の腰を張って、夢幻の寵妃を、その人であるかの如く、演じて行くのである。そしてこの、男のような声を出す女優が、まだ十七に過ぎないのを知ったら、誰しも、その異常な成熟には怖しさを覚えるであろう。
 さて演技が殺し場まで進むと、狂いのはかなさにオフェリヤは、ホレイショに導かれて、小川の中に入って行く。と、最初は裳裾《もすそ》が、あたかも真水であるかの如く、水面に拡がるのであるが続いてそれは、傘のように凋《すぼ》まって、オフェリヤは水底深くに沈んで行くのだった。そこが何より、この場面仕掛の見せ所だったのである。それから、ホレイショの凄惨《せいさん》な独白があって、それが終ると、頭上の金雀枝を微風が揺り、花弁《はなびら》が、雪のように降り下って来る。と、その下から、屍体が水面に浮き上って来るのだ。
 そして、花の冠をつけた弥生の花薔薇は、そのまま脚光の蔭にある、切り穴から奈落に消えてしまうのであった。
 所が、そうしてオフェリヤの屍体が舞台から消え去ったとき、何んともたとえようのない、驚くべき出来事が観客席に起った。
 最初は桟敷の後方から、柱が揺れる――と叫ぶ声がしたかと思うと、その劇動が、この大建築を忽ち震い始め、ぎっしりと詰まった五千人の観客が、悲鳴を上げながら総立ちになった。
 然し、その数瞬後には、また夢から醒めたような顔になって、一度はたしかに覚えた筈の震動が、不思議にもその瞬間限りで去ってしまったのに気が附いた。そして、再び視線を舞台に向けたとき、そこに、何事が起ったのであろうか。いきなり、金雀枝の幹にしがみついて、孔雀がつんざくような悲鳴を上げた。
 見ると、驚いたことには、一端は消え去った筈のオフェリヤの屍体が、再び今度は、書割際の切り穴から現われて来た。彼女は、ジョン・ミレイズの「オフェリヤ」そのままの美しさで、キラキラ光る水面を、下手にかけて流れ行くのである。そして、前方の切り穴の上を越えて、上体を額縁《プロセニアム》の縁から乗り出し、あわや客席に墜落するかと思われたが、その時折よく、緞帳《どんちょう》が下り切ったので、彼女は辛くも胸の当りで支えられた。
 すると、その機《はず》みに、頸だけがガクリと下向きになって、その刹那、一つの怖しい色彩が観客の眼を射った。
 オフェリヤの頸には、その左側がパクリと無残な口を開いていて、そこから真紅の泉が、混々と湧き出して行くのである。しかも、その液汁の重さのためか、素馨花《ジャスミン》の花冠が、次第に傾いて行って、やがて滴りはじめた、血滝の側から外れて行くではないか。

  二、オフェリヤ狂乱の謎

「まるで熊城君、この顔は少しずつ眠って行ったようじゃないか。だんだんと脣の上の微笑が分らなくなって行って、遂に消え失せる。そして、その脣が一寸触れたかと思うと、再び分れる。然し、気のせいか、どうも、眼球が少し突き出ているようじゃないかね。たしかにこれは、云い表わし難い言葉の幽霊だよ。この事件の幽霊は、淡路の一人二役にもなければ、柱の震動でもない。僕は、この一点にあると思うのだ」
 と白い皮膚の上の脈管を、しげしげと見入りながら、法水はまるで、詩のような言葉を吐いた。
 突如起った惨劇のために、その日の演技はそれなり中止されて、人気のない、ガランとした舞台に立っているのは、この三人きりであった。
 幡江の全身には、この世ならぬ蒼白さが拡がっていた。手足をダラリと臥《ね》かして、その顔には恐怖も苦痛の影もなく、陰影の深い所は、殆ど鉛色に近かった。そして、脣は緩かな弓を張りそれには無限の悲しみが湛えられていた。
 右の頸筋《くびすじ》深く、頸動脈を切断した切り創《きず》は、余程鋭利な刃物で切ったと見えて、鋭い縁をそのまま、パクリと口を開いている。そしてそこには、凝結した血が、深い溜りを作っていて、緞帳の余映で、滲み出た脂肪が金色に輝き、素馨花《ジャスミン》の冠が薄っすら
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