声音《こわね》までも変ってしまって、その豊かな胸声は、さながら低音の金属楽器《ブラス》を、聴く思いがするのだった。然し、その後の生活と云えば、どうして不幸どころではなかったのである。
二十年前|情《すげ》なく振り捨てた、先妻の衣川暁子も、その劇団と共に迎えてくれたのだし、当時は襁褓《むつき》の中にいた一人娘も、今日此の頃では久米幡江《くめはたえ》と名乗り、鏘々《そうそう》たる新劇界の花形となっていた。そうして、僅かな間に、鬱然たる勢力を築き上げた九十郎は、秘かに沙翁舞台を、実現せんものと機会を狙っていた。
所へ、向運の潮《うしお》に乗って、九十郎を訪れて来たものがあり、それが外ならぬ、沙翁記念劇場の建設だった。最初その計画は、九十郎の後援者である、一、二の若手富豪に依って企てられたのだが、勿論その頃は、一生の念願とする、沙翁舞台が実現される運びになっていた。
ところが、そこへ他の資本系列が加わるにつれて、九十郎の主張も、いつかは顧みられなくなってしまった。それではせめて、クルーゲルの沙翁舞台とも――と嘆願したのであったが、それさえ一蹴されて、ついに[#「ついに」は底本では「つひに
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