た。勿論その声は、風間九十郎に対する隠然たる同情の高まりなのであった。
 風間九十郎は、日本の沙翁劇俳優として、恐らく古今無双であろう。のみならず、白鳥《スワン》座の騎士――と云われたほどに、往古のエリザベス朝舞台には、強い憧れを抱いていた。
(前《ボーダー》、奥《ハインダー》、高《アッパー》)と、三部に分れる初期の沙翁舞台――。その様式を復興しようとして、彼は二十年前の大正初年に日本を出発した。それから地球を経めぐり、スタニスラウスキーの研究所を手始めにして、凡ゆる劇団を行脚《あんぎゃ》したのだった。
 けれども彼の、俳優としての才能はともかくとして、その持論である演出の形式には、誰しも狂人として耳をかそうとはしなかった。そして、疲れ切った身に孔雀を伴い、敗残の姿を故国に現わしたのが、つい三年前の昭和×年――。
 そう云えば、滞外中九十郎が、第二の妻を持ち、その婦人とは、ラヴェンナで死別したと云う噂はあったけれども、その浮説が遂に、混血児の孔雀に依り裏書された訳である。
 然し、日本に戻ってからの九十郎には、言葉に不馴れのせいもあって、それは非道い、厭人癖が現われていた。のみならず、
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