を知っているのだ。どんな魚類でも方向転換するとき、いかに急いだからといったとて、一度前方へ半円を描かないと、後方へ頚《くび》を向ける動作はやれないのである。
 ところが、この鰡君はそんな手数をかけない。物に驚いて、逸走の動作に移るとき、からだをそのまま、トンボ返りというのか、角兵衛の翻筋斗《もんどり》というのか、情勢に支配されないでうしろへくるりとまわり、勢い込めて逃げるからだ。
 この魚と同じに、トンボ返りのやれる奴は、九州有明湾に棲んでいるムツゴロウという沙魚《はぜ》の一種だけであると、私の友達が話したが、果たしてどんなものだろう。

 湾内へ泳ぎ込んだ鰡群を首尾《しゅび》よく漁《と》ると、漁師はそのうちから、腹に卵を抱えているものだけを選びだして、沼津へ送るのである。沼津には、技術秀逸なからすみ製造工場がある。そこで、卵を立派なからすみに仕上げて、これを長崎へ移出するのだそうだ。
 長崎ではそれに長崎産の商標を貼って、全国へ売りだすのであるという。ちょうどこれは桐生や足利産の丸帯やお召を、一度京都へ運んで行って、これを西陣織として商標を貼るのと同じであろう。
 近年、九州五島あた
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