ると、来た風が流れの面《おもて》を、音もなく渡った。私は、その小波を佗《わび》しく眺めた。
 冬。利根川は、うら枯れた。
 春になれば、私の村は養蚕の準備に忙しかった。母と姉は、水際に近い底石に乗って、蚕席《さんせき》を洗った。洗い汁の臭みを慕って、小ばやの群れが集まってきた。四月の雪代水は、まだ冷たい。冷水に浸った母と姉の脛が真紅に凍てた色は、まだ記憶に新ただ。
 もう、下流遠く下総国の方から、若鮎が遡ってくる季節は、間もないことであろう。

   二

 私の少年の頃には、鮎釣りに禁漁期というものがなかった。それは、私がよほど大きくなるまで、そのままであった。
 そんなわけで、私は五、六年の頃から父のあとに従って、村の地先へ若鮎釣りに行った。やさしい父であった。釣りの上手《じょうず》な父であった。五十年も昔には、鮎は随分数多く下流から遡ってきたのであろうが、それにしても父の鈎へはよく掛かった。いつも大|笊《ざる》の魚籠へ鮎が一杯になったのである。
 毛鈎を流れに沈めて二、三尺下流へ斜めに流し、僅かについと竿先をあげて鈎合わせをくれると、三、四寸の若鮎が一荷ずつ掛かってきた。そのとき
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