まれた烏川や鏑川に別れを告げるのである。そして、鏑川の鮭の子は烏川へ、烏川から利根川へ出て、次第々々に海へ向かって行くのだ。
 その頃が、鮭の子を釣る絶好の季節である。四月上旬まだ多野郡新町のお菊稲荷の社のあたりで釣れるのは、一寸か一寸五分のほんの可愛い魚であるけれど、もう利根と烏の合流点あたりまで下ったのは、二寸ほどに育ち、さらに利根本流を武州妻沼橋あたりまで下ったのは三、四寸に育って背の肉が丸々と肥えてくる。
 鮭の親の鱗の肌には、美しい鱒科の魚特有の紫紺斑点が消え失せているが、鮭の子の肌には青銀色の鱗に微かに小判形の斑点がうかびでて、鮮麗の彩、まことにかがやかしい。
 一、二寸に育った鮭の子は、軽い味に人の舌を訪《おとな》う。かき揚げの天ぷらが、甚だ結構だ。妻沼橋あたりで釣れる三、四寸に育ったものは、塩焼きがよい。塩蒸しもよい。牛酪で焼いて冷羹《れいこう》をかけて洋箸で切れば、味聖も讃辞を惜しまぬであろう。
 数年前までは、岩鼻村地先で烏川に合流する井野川へも鮭の親が遡り込んで産卵したのであったが、ちかごろはどうしたものか、井野川では鮭の子の姿を見ない。井野川の水質が、変わったの
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