姫柚子が数粒、小皿の上にあった。私は、それをなつかしく眺めた。
 寒国である私の故郷は、柑橘類に恵まれていなかった。姫柚子など、あろうはずがないけれど、私は姫柚子の味に永い間親しんできたのである。それは、私に四国の阿波の国に友人があって、そこから毎年初秋になると送ってきた。私は、湯豆腐にちり鍋に、この姫柚子の調味を配して、遠い国にある友の心を偲んだのである。
 姫柚子は、西国の特産である。四国、九州、紀州などのほかに絶えて見ぬのであるけれど、これはどこから到来したのであるかと鎌倉の釣友に問うたところ、やはり讃岐の友から送って貰ったのであると答えた。そこで私は、阿波の国の友人の身の上を思って、なつかしさが一入《ひとしお》であった。友はいま、故郷を離れ南支へ赴いて働いている。そのために、ここ一両年は姫柚子に接しなかったのである。久し振りに、四国の友に会う思いがした。
 ちり鍋の材料は、大きなほうぼう一尾、槍烏賊《やりいか》三杯、白菜、根深《ねぶか》、細切りの蒟蒻《こんにゃく》などであったが、これは決して贅を尽くした魚菜とはいえまい。しかしながら、姫柚子の一滴は、爛然《らんぜん》として鍋のな
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