女学生の群れが蝗《いなご》を追う姿を眺めて過ぎた。
 湯野浜温泉の町は鶴岡から西北へ三里、日本海の波が砕ける巖の上にある。私は数年前、吹雪の夕べこの温泉を訪ねて、素朴の印象に冬の旅情を慰めたのであったが、このたびはその思い出を求めて再びここに旅衣を脱いだのである。ところが、僅かに五、六年の間に、湯野浜温泉の情趣は荒《すさ》みきってしまった。宿の階上にも町の角にも何やらの景気が漲《みなぎ》り溢れて、過ぎし日を偲ぶよすがもなかった。膳にのった肴も羮《あつもの》も徒らに都の風をまねて、雅味など思うべくもない。
 けれど、海は変わらぬ趣であった。白泡がしぶき立つ渚《なぎさ》に、豪壮な巖が賀茂の港の方まで、底黒い褐色に続いていた。ここが、鶴岡の同好の士の釣り場である。鶴岡は、昔から釣りの都であった。藩公酒井家は、いつの頃からか藩士に釣りを練武の技として奨励してきたのである。殊に維新の藩主左衛門尉忠篤は、歴代のうち一番釣りに熱心であった。
 一体酒井家は、元和八年鶴岡の城主最上源五郎義俊が御家騒動のために取り潰されたあとへ、信州松代十万石から転封されたのである。最上家は承平の頃から名家で、斯波兼頼
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