寄りを浮かべて緩やかに渦巻く碧い淵が、清くよどんでいる。この仁淀川は、鮎が大きく育ち、数多く棲むのに絶好の条件を備えていると思う。
 謙井田で、三人は五、六日釣り耽った。はじめて仁淀川を見たときに、立派な流相を持っていると感じた通り、この川には大きな鮎が数多くいた。三人は来る日も来る日も、我れを忘れて水際を歩きまわった。
 ここの宿は、旅館を営業しているのではないが、毎年夏になると遠くからくる釣り人を泊めるのを慣わしとしていた。雨村は、この宿と古いなじみである。宿を去る朝、雨村は勘定してくれといった。すると、宿の主人の六十五、六歳になる律気な婆《ばあ》さんが一日一人四十銭ずつでよろしいと答える。もちろん、朝夕二食に昼の弁当つき、布団《ふとん》つき間代まで含んでいるのだ。
 婆さんの答えをきいて、雨村は当然であるといったような顔をしている。私は、婆さんと雨村の二人の顔を見くらべて、心の中に驚いたのである。
 昭和十五年といえばもう支那事変が起こってから五年目になる。世の中には、そろそろ統制経済だとか、公定相場だとかという言葉をきくようになり、都会では生活物資が次第に少なくなり、物の値いが
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