ぬのである。それは、父の眼が離れるとお前は、自らの心に帰り、自らの釣り姿に帰るためだ。自らの心、自らの釣り姿というのは、お前が友釣りについては真の初心者である正体を指すのだ。友釣りについて、真の初心者にはこの瀞場は一尾も釣れぬ。だが、お前は将来常に父を指導者として、己れの傍らに置くわけにはいくまい。きょうは竿の上げ下げにも、足一歩運ぶにも、やかましくお前の自由を束縛したけれど、これから後はきょうの指導を基礎としてお前の工夫と才覚と思案とをめぐらして、自由に気侭に釣ってみるがよい。
そこでお前の感ずることは、己れ一人の工夫、才覚、思案というものが、どんなに心をちぢに砕かねばならぬ難しい業であるのかを知るであろう。そこで、この友釣りは己の工夫を加えれば加えるほど釣れぬようになるものだ。研究すればするほど、勉強すればするほど釣りの道の深さが身にこたえ、野球の選手が打球に苦心していくうちに、一次スランプに陥《おちい》るのと同じように、友釣りの技もどうにもこうにも自分の力では行なえ得ぬ日がくる。
そして、苦心に苦心を重ねた末、十年か二十年の修行の果てに、お前にめぐってくるものは、きょう父がお
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