すが》になあ、娘さんでさえも――と、幾度も感嘆の声を発するのである。感嘆する一人は、どこかの釣り場で一度か二度見かけた顔だ。
十一
昼近くなったので、飯を食べに一旦宿へ引きあげることにした。そこで私は娘に、お前はもう十尾ほど掛けたかも知れない。しかし、きょうはじめて釣った鮎は、お前の経験や腕前で釣ったのではないのはお前も分かっていよう。ところで、経験や腕前もないほんの初心者になぜ瀞場の鮎が盛んに掛かるかということが問題だ。それはつまり、お前は傀儡《かいらい》であるからである。竿を持った人形が、人形使いの意のままに動いて観衆を感動させたということは、人形に人形使いの精神と技術とが乗り移ったからであるといえよう。この瀞場の鮎を釣るのに適した道具立てを持ち、そして父が教えるそのままの技術を踏んで、少しの私心を交えず竿を操ったから鮎が掛かったのである。いわばお前と父とは、個体こそ違え、釣りの意と技に伝える人格が一致したのだ。たとえば、父が自ら釣ったのと同じであったのである。
ところで、父の眼がお前の釣り姿から離れると、不思議に俄然川鮎は囮鮎に挑み掛かってこぬであろう。つまり、釣れ
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