る。それは、はしたなき釣り癖であることを、よく私は反省している。だが、水に向かうと、我れを忘れて水に浸るのである。私は、幾年この悪癖と闘ってきたか知れない。しかし、今もってその癖を正しきに導き得ぬ。
全治するまで絶対に、傷を水に濡らしてはならぬ。この戒めを得たのは、もっけの[#「もっけの」は底本では「もつけの」]幸いである。自分の心で、自分の悪癖を正していけないとすれば、他から与えられた動きのとれぬ条件を用いて、目的を達したらよかろう。ようし、我が輩はこの足の傷が全治するまでの間に、不必要な場合の水浸りの癖を正してみようと考えたのである。
好きな道楽には、医者の戒めを利用か悪用かして、理屈をつけ、自分の田に水を引き、老婆が引き止めるのも顧みないで、娘を供に痛む足を引きながら、またまた富士川へ繰りだしたのであった。
そもそも、私は上州の利根川の上流の激流の畔に育った。利根川は水量が豊かに、勾配が急に、川底に点在する石が大きく、名にし負う天下の急流である。峡谷と淵と河原と、あちこちに交錯して、六間も七間もある長い竿をふるったところで、狙う場所へ囮《おとり》鮎が達せぬ場所が多いのである
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