》ひきひき富士川へ引き返したのである。全治するまで絶対に水へ入ってはならぬ。と、いった医者の言葉は、私の釣り修業にとって求めても得られぬ天恵の戒律《かいりつ》であると思った。
若いときから長い間、私は足を水に浸《つ》けねば友釣りをたんのうしたような気持ちになれないできた。つまり、川の水に足を浸《ひた》しながら釣ることが、友釣りの欠くべからざる条件ででもあるかのように、無意識に私をそうさせてきた。永い年月の習慣が、私の気持ちを支配してきたのである。
しかし、それではまだ一人前の友釣りには達しておらぬのだ。絶対に足を濡らしてはならぬというそんな偏した規律はないけれど、水に足を濡らさないで釣れる場所でもあったならば、ことさらに流れに足を入れぬでもよかろう。また一歩足を水に入れねば思う壺へ竿先が達し得ぬというのを知りながら足を濡らしてはならぬという掟に囚《とら》われて、無理に丘の石の上に立つのもおかしいものだ。無理のない釣り姿、これが釣りの極意であろう。
ところが、私の友釣りは流れに立ち込まねば気がすまぬ。その場合における必要、不必要などから離れて私は釣り場へ行くと、流れに立ち込む癖があ
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