きのある親しみ深い空気が流れていた。熊野神社の境内もおごそかである。ここの宮司も、友釣りの大の愛好者で、私の著書の愛読者でもあった。
 朝夕の新涼を、肌に快く感ずる頃、日足の熊野川に別れ、遠州の奥西渡の天龍川を指して新宮から木の本、矢の川峠、尾鷲をへて、伊勢の宮川に添いつつ相可口に出たのである。西渡の天龍川で釣ったのは僅かに半日で、翌日から台風に襲われ、天龍の山鮎の大物に接する機会を得なかったのである。天龍の鮎は上等の質とはいえないけれど、形の大きいのと力の強いのでは、飛騨の宮川と並び称されるであろう。

   七

 娘がいうに、兄さんばかり釣りに伴って私ばかり家に置いていくのは不公平でしょう。と父に苦情を持ち出すのである。
 そこで、私は兄妹を伴い巣離れの鮒《ふな》を狙い、水之趣味社の人々と行を共にして、千葉県と茨城県にまたがる水郷地方へ釣遊を試みたことがある。それは、娘が女学校の一、二年の頃であった。それから、千葉県の手賀沼へも二、三回鮒釣りに連れていった。そして、帰り途に草餅や串カツなども釣った。
 海釣りにも誘ったが、娘は同意しなかった。伜は、伊豆の網代へも、浦賀の隣の鴨居に
前へ 次へ
全32ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング