慈郡西金の地先を流れる久慈川の中流であった。それから、磐城国植田駅から御斎所街道へ西へ入った鮫川の上流へも伴って行った。駿河の富士川へも、遠州の奥の天龍川へも、伊豆の狩野川へも連れて行って腕をみがかせたのである。越後の南北魚沼郡を流れる魚野川へは二、三年続けて引っ張りだして六日町、五日町、浦佐、小出、堀之内あたりで竿の操作を仕込んだ。
そんなわけであるから、少しは上達するのが当然であろう。
八月末になって、学校の始業に遅れぬよう伜は親を残して、一足さきに矢の川峠を越えて帰京した。私は、それからもゆるゆると熊野川の水に親しんでいたのである。
東牟婁郡は三重県であるが、西牟婁郡は和歌山県である。その郡境を熊野川は、西方の深い山々の間から東に向かって流れ、太平洋に注いでいる。和歌山県側の日足の村から対岸の三重県側にある高い丸い山々と、麓に眠る村々の風景は、まことに静かである。殊に、日の出前に、淡い朝霧が山の中腹から西へ流れる趣は、浮世の姿とは思えない。
新宮へも一泊した。泊まった熊野川の橋の袖鉱泉宿は構えが大きいだけで、まことに不親切であったけれど、新宮の街は道が狭いとはいえ、落ちつ
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