観光にきた仏蘭西の一画家が、東京の都会美には何処《どこ》となく植民地の匂いがある。ところが、芝公園に遊んではじめて東京の姿をみた。と評したことがあった。それは公園の中心に、徳川将軍家歴代の宝廟があったためであるのは勿論である。
日本人であっても日光の霊廟を知って、この霊廟を知らぬ人が普通である。日光には、山水の姿の人を惹きつける景物があるが、芝にはそれがない。まことに残念である。もし、芝に日光だけの天然を持たせたならば、見る人の耽美の情を揺するこの芸術は、日光以上の声価をもって世界に紹介されたであったろうと思う。
江戸時代の権勢と金力と、審美眼とを後世に残したこの増上寺を、徳川家の菩提所《ぼだいしょ》[#ルビの「ぼだいしょ」は底本では「ぼたいしょ」]として定めたのは家康であった。家康が千代田城を政権の府とした頃、半蔵門の近くに観智国師という高僧が庵《いおり》を結んでいた。家康はその徳に帰依《きえ》して、国師に増上寺の造営を嘱したのである。ここを三縁山と唱えて、徳川家累代の霊を祀る地とした。当時の増上寺は境内十八万坪、数十の大建築物棟を並べ、いくつもの学寮を創設し、また関東地方一帯の
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