粉れに」]寺内へ忍び込んで手近なものを担ぎ出し、古物屋へ売り飛ばしたのや、小盗の類が贋武士となってやってきたものであると分かった。
しかし、当時の、物ごとに震えてばかりいた増上寺には、その真相は分からなかった。武士と名のつくものには、腫れものに触るようにして為すがままにした。
後難を恐れた役僧達は、相談の末数日後、また別当瑞蓮寺から千五百両借りてきた。そして、これを前日の役者が携えて、土方らの宿所を訪れた。
『本日、千五百両だけ都合でき申した。きょうのところはこれで耐えて頂きたい。残る千五百両は、寺の宝物を払っての上持参する考えでご座るから、いましばしのところお待ちを願いたい』
と、申し入れた。ところが、土方らは増上寺の使者に、
『心にかけて忝《かたじ》けない。だが、軍費は当方において都合ができた。本日のところは、持ち帰って貰おう』
と、挨拶した。この辺、まことにさばさばとしていて面白い。
筆者はこのほど、瑞蓮寺に住職絲山氏を尋ねて霊廟物語につきいろいろと話を承った序《ついで》に、土方らが押し入った当時増上寺が瑞蓮寺から借りた三千両と、千五百両の借用証書を見せて貰ったのである
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