売り払い、お志の幾分なりとご用達てるより他に途がないと、平伏した。
『さようとあれば、詮方ない。きょうはいらぬ』
 こう言って、土方はあっさり立ち去った。

     淡快な土方晋

 その日は、それで済んだけれども、増上寺では後難を恐れた。
 いまでも行ってみれば、眼のあたり分かる通り、幕末から維新当時にかけて増上寺の境内や数ある徳川霊廟の境内は、匡賊に類した武士や贋武士のために、惨々《さんざん》な掠奪《りゃくだつ》を蒙っている。諸侯が[#「諸侯が」は底本では「諸候が」]寄進した青銅の灯篭を足から持って行ったのもあり、宝珠を片っ端から盗み去ったのもある。甚だしいのになると、銅で葺いた内塀の屋根を、長々と剥ぎ去ったのさえある。灯篭を運び去ったのは幕府の大筒を鋳《い》る原料にするのだと豪語したと言うし、銅の屋根を剥ぎ去ったのは、尊王方の軍費に資するのだ、と台詞《せりふ》を残して逃げたと言うが、これを後になって調べてみると、それは悉く幕府に捧げたのでもなく、尊王に資したものでなかった。それは当時薄祿に食うに困ったご家人や浪人が、騒乱のどさくさ紛れに[#「どさくさ紛れに」は底本では「どさくさ
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