、将軍と増上寺の大僧正を霊廟へ案内すればいいので他に何の役目もなかった。であるから、年中用事がなく遊び暮らした。駕籠《かご》に乗っては江戸の市中へ繰り出し、遊びまわった。
 それでも、別当へは金が溜まってきて始末に困った。そこで、天下の諸侯に盛んに金を貸しつけることをはじめたのである。勝手元|不如意《ふにょい》の殿様は競って別当のところへ金を借りにきたのである。徳川中世以後は、まことに貧乏な大名が多かった。貧乏でないまでも、表面貧乏を装い幕府の手前をごまかすために、別当のところへ金を借りにくる大名がいくらもあったのである。
 有章院の別当瑞蓮寺は、昔の寺境から移って現在有章院の北側地続きにある。筆者はこのほど瑞蓮寺を訪れた時、住職の絲山氏からいろいろの宝物を見せて貰った。瑞蓮寺には昔から山のように、将軍家から下された宝物があった。明治になってから宝物、家具の払い下げをさせるに、整理人まで置いたほどであったという。いまでは大部分売り払ってしまったから、ほんの僅か残っているばかりであるというのであるが、それでも一ヵ月や二ヵ月では調べ終わるわけのものではあるまいと思われるのだ。
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