塔とがある。宝塔は木造で斗※[#「木+共」、第3水準1−85−65]《ときょう》以上を極彩色とし、軸部には全面に蝋色地、高蒔絵を施して、これに七宝入りの精巧な透彫金具を打ち、眼もさむるばかりに美しい。歴代の宝塔中、やはりこの二代将軍の宝塔が最も立派であると言われている。
秀忠の夫人崇源院の霊廟は、台徳院の北隣に建っている。崇源院は正保四年三月十七日に、入仏供養が行なわれているが、その規模は台徳院に比べて少し小さいにしても、壮麗華美なことは殆ど台徳院に劣らない。そして、数ある増上寺の霊廟のうち、この台徳院と、崇源院を南廟所と称えている。北廟所には、江戸時代中期の代表的傑作である六代家宣文昭院霊廟と、その北隣に七代家継有章院霊廟とが並び建ててある。共に豪華眼を欺《あざむ》くばかりであるが、殊に文昭院の廟は豊麗精美の妙を尽くし、壮大な桃山趣味から脱して真に江戸中期、つまり元禄時代の爛熟した芸術の粋を遺憾なく漂わせ、見る人をしてまことに去らしめない。
文昭院には、十二代家慶、十四代家茂、同夫人が合祀され、有章院には八代家重の霊が共に祀られてある。二代秀忠の裏方崇源院は、越前の国浅野長政の次
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