の間に宏大にして精緻な美術建築ができあがったのであった。
 しかし、霊屋の建築はとにかくとして、屋内を飾る美術品、彫刻、絵画、漆工、磁工などが、僅かに半歳の間に完成したとは思われない。左甚五郎が刻んだという芸術品だけでもその数は夥《おびただ》しいのである。如何《いか》に卓越した腕を持っていたにしたところが、短い時間にあれだけの美術品が新しく世に出たことは、我々|素人《しろうと》としてはほんとうに考えられないところである。

     麻布の十番

 それはとにかくとして、僅かな期間にあれだけの工事を仕あげたのであるから、随分多くの人を使い、また沢山の金を費やしたことが想像できる。
 いま麻布に十番という地名がある。このところには、二代将軍霊廟造営に際して工事費支払場所を置いた。一番から十番までの勘定方がいたので、この名が残っているのである。技術家や、従業の人々が夕方になるとそこで金を受け取り、近所の飲食店や商店で散財したのであるから、当時麻布一帯は素晴らしく繁華であったであろう。
 また徳川初期の清妙芳麗な工芸の神技を発揮しているものに、台徳院本殿内に安置した堂宇《どうう》と、奥院の宝
前へ 次へ
全24ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング