話だ。
大正六、七年ごろであったと思う。八月の炎暑の午後、相州小田原の傍らを流れる酒匂川の川尻で、私が黒鯛を釣っていると、そこへ五十歳前後の釣り師がきて、私と並んで釣りはじめた。どういうわけか、その日はさっぱり釣れない。二人は根気がつきて、みぎわに近い砂原へ腰をおろした。そこで、私と釣り師との間に世間話がはじまった。
『こんど、牛込から素晴らしい候補者がでますよ』
という話になった。九月には、衆議院議員の選挙があるのであるから、話題は自然にその方へ移っていったものとみえる。
『どんな人物です』
『さあ、どんな人物と言っても、まだ青年なんですがね、弁護士で、まだ三十歳をでたばかりです』
『はあ、では新候補ですね。どこか特別に偉いところがあるのですか』
『無名の弁護士ですが、ひどく義侠がありましてね、貧乏人をみると、誰にでもただで弁護してくれるんです。私は、小石川の魚屋の親爺ですが、私の仲間にも厄介になった人があるんで、同業者がみんな感謝しているような訳です』
『なんという人ですか』
『三木武吉といいますよ。しかしね、私は先だってからここの松寿園に滞在して酒匂の川尻の黒鯛を狙っているの
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