しかし、ひとたび深い雲を催せば、雨がくるのではあるまい。もう雪が降ることであろう。そんな想像をめぐらしているうち、三十年近くも過ぎた昔、私はこの蕭条たる枯野が真っ白に包まれた雪の上を、東から西へ向かって歩いて行ったことが頭へ浮かんできた。
いや、ほんとうはこうして二人から離れ、私ひとり窓のそとの景色に忽焉《こつえん》としているというのは、そのときのわが姿を、なん年振りかで眼に描いて、なつかしみたかったからである。若き日のわが俤が汽車の窓のそとを歩いている。
その若き日の旅に、私は歯がたわしのように摺り減った日和下駄をはいていた。物好きの旅ではない。国々をさまよい歩いた末の、よるべなき我が身の上であったのである。
二
私は明治の末のある年の十一月下旬、勤め先を出奔したことがある。追っ手を恐れて一足飛びに土佐の国へ飛んだ。土佐の国を選んだというのは特に頼る人があった訳ではない。ただ地図の上で見て海を隔てた遠い国であるから、そこまでは追っ手の手も届くまいと考えたからであった。
高知市で口入れ屋を尋ね、蕎麦屋の出前持ちを志願したけれど、戸籍謄本を持たないというので、ことわ
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