られた。そこで、土佐の国には諦めをつけ、神戸に渡ったのである。
神戸では本町二丁目裏の大きなちゃぶ台のある近所の口入れ屋の二階に、四、五日ごろごろしていたが、そこでも仕事はみつからなかった。それから大阪の天王寺に旧友を訪ねて、電車賃を借りて京都まで行った。
三条駅へ着いたが、京都にも別段たよる人がない。ひねもす、岡崎公園の石垣の上から疏水の流れを眺めていた。夕方になると、水の面《おもて》に冷たい時雨《しぐれ》が、ばらばらと降った。
伏見の町で古着屋を捜して、トランクを中みぐるみ売った。トランクの中には、死ぬまで手離すまいと大切にしていた母が手織の太織縞の袷《あわせ》も入っていた。そのとき、ふと感傷的になったのを、いまでも記憶している。
その金で、相州小田原までの汽車の切符を買った。そして十二月から翌年の二月まで、小田原の友人の家へ居候していた。小田原の友人は、家なき私に親切であった。
ところが、友人は私にもてなす酒のことで細君と喧嘩した。それが、二度、三度と重なったのである。
『おれの友達の、面倒がみられないようでは困る』
と、友人が細君をたしなめると、
『それも程度問題で
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