州屋といって昔は、つまり汽車という交通機関がこの土地へ通じる前は、大きな立派な宿屋であったけれど、いまでは木賃宿というほどではないが、まあ安直の諸国商人宿風の店があるから、訪ねて行ってみるがいい。話のしようによれば、米も炊いてくれるだろうし、布団も貸してくれるだろう、と親切に教えてくれた。
 宿はずれに、上州屋というのがあった。路ゆく人の言葉通り、大きな店ではあるが半ば腐った古い軒が傾いていた。広い土間へ入って、框《かまち》のそばに切ってある大きな爐に手をかざしていた盲縞の布子《ぬのこ》を着ている五十格好のお神さんに、一夜の宿をお願い申した。
 お神さんは、私らの風体に下から上まで冷やかな視線を放ちながら私たちの口上をきいていたが、しばらく考えた末、手前どもでは旅の芸人を泊めないことにしている。この暮れ以来佐久地方へ、悪い者が入り込んであちこち騒がしているので警察の達しがやかましい。気の毒だがほかの土地へ行って貰いたい。しかし話をきけば哀れでもある。今夜一泊だけはそっと泊めてやろう。
『米を、買うぜにはあるかい』
『ございます』
『そうかい、豪勢だね。一升十七銭――三人だから一升あれば
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