銭から八十銭と勘定書についてくる。酔い潰れるほど、飲めなくなった所以《ゆえん》であろう。
二
二升入りの兵庫樽一本三十銭は、明治中世の話であるが、維新前は我々に想像もつかぬほど安かったものだ。
奈良般若寺の古牒《こちょう》によると、慶長七年三月十三日の買い入れで、厨事《ちゅうじ》以下行米三石六斗の代価七貫百三十二文、上酒一斗二百十八文、下酒二斗三升で二百十七文とあるが、当時の貸幣価値は当時使用したものでなければ分からないから、慶長頃の酒がどんなに安かったものか判断がつかない。二代将軍秀忠の慶安年中は、いまから二百九十年ばかり前になる。そのころ、江戸鍛冶橋御門前南隅に小島屋嘉兵衛という酒類、醤油を売る店があった。この店で市中へ撒いた引き札に、古酒一升につき大酒代六十四文、西宮上酒代七十二文、伊丹西宮上酒代八十文、池田極上酒代百文、大極上酒代百十六文、大極上々酒代百三十二文とある。ところが、同じ引き札に醤油の値段も書いてある。それによると、大阪河内屋代百八文、難屋代七十二文、近江屋代七十文、銚子代六十文とあるのを見ると、当時は酒に比べて醤油の方が割合に高価で、醤油の上物と
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