にして昔のお正月のことを回顧して、こん日の美俗に思いを寄せると、ただ何となく物さびしい気がする。
 私なども、若い時から大酒飲みで讃酒の生涯を送ってきたが、この頃では大して飲まなくなった。いや、飲まなくなったのではない、飲めなくなったのだ。心献《しんこん》に、輓近《ばんきん》の美俗を尊重するつもりはないのだけれど、こう物価が鰻のぼりにのぼってきては、思う存分飲む訳にはゆかないからである。ほんとうに、これで参ったというほど頂戴してみたい。などと、さもしい夢をみることもある。
 私の父も、随分酒が好きであった。毎日、朝から酔っ払っていたのである。しかし、おとなしい酒で、酔ってもにこにこしているが、一年中朝からにこにこされているのには家族の者も閉口した。私の子供のころ、近所の醸造元から毎夕二升入りの兵庫樽を配達してきた。それで金三十銭。つまり、一升十五銭という勘定である。こんな安い大乗《だいじょう》の茶を飲んで、朝から瓶盞《へいさん》の仁となっていられた父は幸福であった。
 いま時、一升十五銭などという安い酒は思いもよらない。酒楼に上がれば、一合三、四勺入りの徳利を二合入りと称して、一本七十
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