酒の極上物と相匹敵しているのは、いま酒の市価が醤油の四倍から五倍になっているのを思うと、甚だ残念で堪《たま》らぬ。
下《くだ》って、享保頃の諸式の価を調べてみると、とぼし油五合で一百文、白豆四升六合で一百文、白木綿一反で三百文、岩槻霜降木綿一反が四百文、新諸白(新清酒)二升が百四十八文、上々醤油一樽が四百四十八文、上酒五升で四百三十文、上白餅米三斗六升で一分、足袋四足が百七十二文(七文半二足一足三十文宛、九文半さし足袋六十三文、九文半四十八文)、白米三斗九升が一分、秩父絹二疋で二朱と四百文、駕籠《かご》賃(飯田台から赤羽橋まで)七十四文、大|鮪《まぐろ》片身二百二十四文、榧《かや》の油五合が二十四文、白砂糖半斤五十二文、駕籠賃(尾張町から白山まで)百十文。
以上のような物の価であるが、当時一分に対して銭が一貫二百六十文、また文金一歩に対して銭が七百五十二文であった。
そのころ私らが生まれていれば、一升八十文の上酒を茶碗に酌んで、片身二百二十四文の大鮪を眺めることができたろうに――。
ついで明治五年以前には、半紙が十二文から、十四文、十六文、二十文と騰貴《とうき》し、酒は一升百二
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