雉子《きじ》の雄は二月、三月が季節の盛りで、雌の方は三月、四月が最高潮である。鴨でも、鯛でも、鮎でも雄の方へ一足先に季節がくる。すべて野生の動物は、雄の方へ一ヵ月ほど早く、春機発動の期がきて早く衰え、雌の方が常に遅れているのである。
水禽《すいきん》は概して雄の方が上等の味を持っている。鴨、シギ、オシドリなどそれである。家鴨も雄の味が上等としてある。四月は鴨の季節であるから、雌雄二羽が店頭にあったら雄を求めるのが食通といえる。雉子は二月に雄、四月に雌ということになっているが、大体において雌の方がおいしい味を持っているのである。
そこで、動物の味の季節が生殖に深い関係を持っているとすれば、必然的に年齢のことを考えねばならない。いかに若いものがすきであるからといったところで、性の使命を覚えないものではとるに足るまい。
いわゆる、春情相催す年頃にならねば、真の味が出てこないものである。しかし、年をとったものがいいといったところで、生殖力が衰えてからでは面白くない。即ち、上がってしまってからでは濃爛《のうらん》の媚を求め得ないのである。
それに例外がないでもない。支那人は若い雛鳥を、西
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