洋人は子牛を、日本人は若鮎と若|茄子《なす》を好む風がある。しかし、これは恐らく味の上からではなく、一種の嗜好からきているのではあるまいか。年を取り過ぎたものに味があろうはずがない。ものの味は、性欲がついた後、また性欲の衰える以前のものでなければならない。即ちすべて動物は、春情が催しきたってそれが衰えるまでの間を壮盛期といい、その壮盛期の間においてのみ、年に一回季節がくるのを、食味の至極とするのである。
鰻《うなぎ》もそうである。三、四十匁の小串を好むものもあるが、それはただ、軽い味というだけである。ほんとうは五十匁以上、百匁近いものに味がある。
鰻は海からさかのぼってきて、六、七年川や沼に棲んでいると産卵のために海へ帰ってゆく。十六、七年も海へ帰らぬものもあるが、それは棲息場所の状態によってであるから例外である。産卵のため海へ帰って行く、その下り鰻というのがうまい。からだが熟成して肉が張りきっているからである。江戸前の鰻がいい、というのもそこに関係がある。月島[#「月島」は底本では「月鳥」]周りや台場周りには、荒川の上流から下《くだ》ってきて、遠い深海へ生殖に行く鰻が、居付きの鰻
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