動物は必ず一年に一度ずつ、交会の期が回ってくるものであるが、季節なく春機の動くものがある。それは家鶏、家鴨、豚、飼いウサギなどである。これらは一年中、時と場所を選ばないから、いつといって味の季節がない。
 本来、野獣、野禽《やきん》、魚類は生活のために大層な努力を費やす。食物を得るために死物狂いとなり、外敵を防ぐために頭を使う。ところが、家鶏や豚は、人間から厚く保護され、食物を得る心配もなければ、外敵を防ぐ必要もない。人間に保護されている幸福な家鶏や豚は、蓄えた精力を常に生殖専門にそそぐようになったので、その結果として家鶏にも、豚にも味の季節がなくなったのである。だが極めて厳格に凝視すると、祖先が野にあった頃の遺風が僅かに痕跡をとどめていないでもない。家鶏は三月の頃よく交会を好み家鴨は五、六月の候を※[#「言+区」、第4水準2−88−54]歌する風がある。従って味に季節があるといえば、いえるのであるが、それは極めて微妙であって軽少である。しかし野生の動物の持ち味に比すべくもないことは勿論のことであろう。
 そしてまた、男女両性はその持ち味も同じでありそうなものだが、なかなかそうでない。
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