あろうか。彫刻、絵画、工芸作品、舞踊、力士の体格などの美。いやいや、自然の美だ。闘牛、それ自身にはなんの作意もない。私は、動物美の極致にうたれた。孫七牛は、杢平牛に比べると少し小さく、二百三十貫位。杢平牛は、二百五十貫以上はあるであろう。
 いままで二十数番見てきた闘牛の仕切りは、殆ど鼻と鼻との間隔が一、二尺程度であったけれど杢平牛と孫七牛の仕切りは、十間以上の間隔を置いてある。これは、何故かと問うて若月氏の説明をきくと、それは不思議に思うのが当然だ。実は、この杢平牛は戦場往来の業師《わざし》で、仕切りの間隔が短いと、いきなり相手の頭といわず面といわず、頸、胸といわず角を突き刺して一挙に凱歌をあげるという手を知っている。
 つまり、相手にわが角の避けるだけの余裕を与えないのだ。もし、その場合に人間が、杢平の戦法を妨げして、相手牛に怪我を与えまいとすると、人間をもひと突きに、突き殺すという恐ろしい奴であるから、仕切りに十分の間隔を置いて、相手牛に身構えの時間を与えるのであるというのだ。
 あっ、鼻糜を抜いた。イヤイー、イヤイーと呼ぶ牛方の声援が起こると、もう四周の崖の上は、雑然|鬧然《と
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