も、この二つの山の温容を眺めながら育ってきた。
 二つの山は、私に取って豊艶な母の乳房にも譬うのである。赤城は右の乳房。榛名は左の乳房。いま、私のまぶたの裏に、故郷の乳房が映ったのだ、泪《なみだ》が漂う。
 身も心も、大自然に溶け込んでしまいたい想いだ。山の懐ろへ抱かれて、すやすや眠りたい想いだ。汽車の窓にうっとりとしているわが胸に幼き腕に笊を抱えて、田圃の小川に小鮒を漁った頃から、ついこの初夏に同盟休校をやって、校門を突き出されるまでの、さまざまの想い出が風景映画のように、区切りもなく影を描いてゆく。
 それからもう、四十幾年を過ぎ、私は老境を迎えて、白髪の親爺となった。しかし故郷を恋う心は一層こまやかになってきた。殊に、両親を亡くしてからというものは、一入《ひとしお》、山の姿がなつかしい。
 私はこのたび、幾十年振りかで、父母のいない生まれ故郷の上新田へ帰ってきた。住まいは昔のままの草|葺《ぶき》の朽ちた百姓家である。裏の籔にも、昔のままの竹が伸びていた。村の、あの家この家も趣を変えない。かつて青年であった村人は、皺の数を増し、髪を白くしているけれど、当時の俤を失わぬ。
 野路に遊
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