ぶ子供らを見ても亡き何兵衛、何蔵に瓜二つの子や孫である。四十年前菱形であった麦田は、いまもなお昔のままの菱形であった。
 なきは、わが父母だけである。
 だが、藍青の裾を長くひいた山々は、過ぎし日の温容そのままで、わが亡き父母に代わって在りし日の想い出を、私に物語るのではないか。
 なんでこんなよい日本を人手に渡せよう。なんで、こんなやさしい上州へ、他人の侵入を許せよう。
 その想いは、私一人ばかりが持っているのではない。大和民族として生をうけたものならば誰でも同じである。
 慈母の如く、豊情豊彩のわが山川草木に、他人の一指も触れさせないために、決死斬込隊も出た。特攻肉弾の勇士も出た。つまり言い換えれば、決死隊も特攻隊も、わが山川草木が生んだことになるであろう。
 我々がわが上州に、尽きぬ愛敬と慕情を捧げると同じに越後の人は越後に、信州の人は信州に、紀州の人は紀州に、それぞれの土に血の脈を感じているのである。母国という言葉は、誰が作ったのか、さればこそ、大和民族のすべてが清いのだ。
 さりながら私は、わが上毛の国を佳国中の佳国であると思っている。私は若い時から旅行が好きで、釣り竿一条を
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