わが童心
佐藤垢石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)山女魚《やまめ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)草|葺《ぶき》
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二、三日前、紀州熊野の山奥に住む旧友から、久し振りに手紙がきた。
――拝啓、承り候えば、貴下も今回、故郷上州へ転住帰農遊ばされ候由、時節柄よき才覚と存じ上申候。
小生もここ熊野なる故郷の山中へ疎開転居致し候てより、はや一年の歳月を過ごし申候。永き年月、都会に住み馴れたる者が、故山の杜邑に移りきては、水当たりもありやせん、人の心の激しさに触れもせん、とはじめのほどはいろいろの危惧を催し候処、それは、ほんとうの杞憂に過ぎざりしを感じ居り申候。
妻も子も、裏山の峡間より導く清水にて炊く飯に食べしみ、日に日に健康を増進し来り候、このごろ初夏が訪れ候てよりは、食膳を飾る莢碗豆、春蒔白菜、亀戸大根などの鮮漿に舌鼓をうち申し、殊に時たま珍肴として、十津川と北山川と合流して熊野川となるあたりの渓谷に釣り糸を垂れ、獲たる山女魚《やまめ》やはやに味覚を驚かせ候が、まれに美禄の配給にめぐり合い申せば僅かなる一盞に陶然として、
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