なしに我々を東京の学校へ送るであろう。
こんな三段飛びの秘策が密にたくらまれてあったのは否まれない。そこで、うまうまと目的を達したわけになった。
上京二、三ヵ月は、私立学校補欠募集を目ざし、己が面目かけて勉強していたために故郷のことなど、てんで頭になかったけれど、入学試験に及第して、ほっとして下宿屋の四畳半に胡座《あぐら》をかくと、故郷の空がそろそろと頭にうかぶ。
私は、勉強の方は甚だ不得手で、神田にある東京中学校と、大成中学校を受けたが二つとも落第。最後に、本郷駒込の郁文中学を受けて辛うじて四年の二学期に入学を許された。その試験は、八月の末か九月の初旬で、飛白《かすり》の単衣《ひとえ》に、朝夕の秋風が忍び寄る頃であった。
田端の高台にある下宿屋に移り、駒込の学校へ通う路すがらの田の畦に蟋蟀《こおろぎ》が唄う秋の詩をきくともなしに耳にする候になると、少年のわが胸に、淡い望郷の念が動いてきた。それが、日をへるに随って、恋々となったのである。
そのころ本郷の高台と田端道観山を隔てる谷には、黄色く稔った稲田が遠く長く続いていて南方を眺めると根津の権現さままで、見通せたのである。私は
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