、帰省して箕輪町の奥の松の沢の山家へ泊まったことがあった。その夜、山家では山鳥の汁で、手打ち蕎麦を馳走してくれた。それから四十年の月日は過ぎたが、その時の榛名の鳥蕎麦の味は忘れられない。
食後、松の沢の部落から、前橋方面に大きな火事が火の手をあげるのを発見した。あとで聞いた話だが、それは前橋市立川町の敷島屋が焼け、逃げおくれた男女が七、八人、無惨の死を遂げたということであった。
山上の榛名湖にも、いろいろの想い出がある。華やかな火口原の花野の果てに、漂う水の湖辺に糸を垂れて大きな鱒を引っかけた釣悦は、なににたとえよう。青銀色の艶に光る鱗のなかに、丸々とした肉脂を蓄えた鱒の風味に添えて、一盃の麦酒、まことに物豊かな想い出だ。
氷上の公魚《わかさぎ》釣りも、趣が深い。釣りあげて氷上に放つと、忽ち棒のように凍った公魚は、細かい鱗の底から、紫色に光る艶を放って、鮮麗な小魚である。天ぷらによし、塩焼きによし、汁物によし。
伊香保温泉は、二つ岳の背後にあって、南方の平野からは望めぬが、私は十七、八年前、幼くして夭折した二男のやまいをここで養ったことがあった。丈夫でいれば、予科練へでも入った
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