いうちには、ただ遠い山と呼ばれてのみ、人々の接近を許さなかったのである。伊勢崎市付近の平野からは、谷川岳の左に続いて万太郎山の姿が遙かに見える。
小野子山の肩から、榛名山の右の肩にかけて空間に、これを遙かに白い国境の山脈が連なっている。三国峠を中心とした三国山の峰々である。上越線が開通する以前、恐らく数百年前から、越後国の人々はこの雪の三国峠を草鞋《わらじ》をはいて越え、上州や武州の江戸村の方へ稼ぎに出て行った。米搗く人もあったろう、湯屋の三助を志す人もあったであろう。
三国連山から西に続いて、渋峠の山と草津の白根火山が聳えているのであるけれど、白根山も渋峠も、榛名山の背後に隠れて、平野からは全く視界を絶っている。しかし、昭和七、八年頃、白根が盛んに噴煙している間は、静かに晴れた秋の日に、夕陽を狐色に映した煙が、榛名山の右の肩から細く、東北の方、越後の空に遠く棚引くのを折り折り望見した。
榛名山は、わが上新田にとって、お隣という感じである。あるいは、上新田は榛名山の麓の分に含まれているかも知れぬ。
真北よりも、少し西に位置して、群馬郡南部の平野を悉く、おのれの衣裳のうちに包んで
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