田から望んだ赤城の嶺には、東から長七郎、地蔵、荒山、鍋割、鈴ヶ岳と西へ並んでいるが、主峰黒桧は地蔵ヶ岳の円頂に掩い隠されて、姿を現わさない。
 私は、五月から六月上旬へかけての赤城が一番好きだ。十里にも余るあの長い広い裾を引いた趣は、富士山か甲州の八ヶ岳にも比べられよう。麓の前橋あたりに春が徂《ゆ》くと赤城の裾は下の方から、一日ごとに上の方へ、少しばかりずつ、淡緑の彩が拡がってゆく。
 春が、若葉を翳《かざ》して裾野を嶺を指して行くのだ。褄《つま》のあたりを小紋模様に、染め分けて微かに見えるのは、細井や小坂子の山村の数々か、それとも松林か。
 真冬の赤城は、恐ろしい。籾殻灰のように真っ黒な雲が地蔵ヶ岳を掩うと、有名な赤城颪が猛然と吹き降りてくる。寒冽な強風だ。風花を混じえて、頬に当たれば腐肉も割れやせん。
 私は子供のころ、その痛い嵐が吹き荒む利根川端の崖路を、前橋へ使いに走らせられたことがあったのを記憶している。相生町の津久井医院へ、病母の薬貰いであったかも知れぬ。
 晩秋の夕|陽《ひ》が、西の山端に近づくと、赤城の肌に陽影が茜《あかね》色に長々と這う。そして山|襞《ひだ》がはっきり
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