川の合流点を下流の方へ曲がる時、左舷から眺めると、鐘ヶ淵の波の上に『みやこ鳥』が浮いていた。楽しそうに水面に群れていたみやこ鳥は、行く蒸気船に驚いて二つの翅《はね》で水を搏《う》った。そして、乗客の眼の上高く舞いめぐる白い腹の下を、薄くれないの二つの脚が紋様に彩《いろど》って、美しかった。
 船は今戸の寮の前を通った。間もなく、船が花川戸へ着くと、私はそこから、仲見世の東裏の大黒屋の縄暖簾《なわのれん》をくぐり、泥鰌《どじょう》の熱い味噌汁で燗を一本つけさせた。
 その頃、堀が隅田川へ注ぐ今戸の前にも、数多いみやこ鳥が群れていた。今戸にはいくつもの寮が邸をならべていて、みやこ鳥の浮かぶ雪景色に酒を酌んだのであった。今戸の寮は幕末から明治初期までが一番全盛を極めたのであって、この頃の物持ちや政治家が熱海や箱根へ別荘を設けるように、当時銀座の役人や御用《ごよう》商人、芸人、大名、囲われ者などがここへ別荘を作った。これを寮と唱えて、建築から庭園、塀の構えまで豪奢、風流のありたけを尽くしていた。それが、大正十二年の震災までは俤《おもかげ》を残していたのである。
 数多い寮のうち陸軍の御用商人三
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング