しくなかった。泥の臭みが鼻をついて、
『こんなのなら、物欲しそうな顔などするのではなかった』
 と、悔やんだのである。そんな古い記憶があったから、その後長い間、すっぽんの食味に興を惹《ひ》かなかったのであるが、先年京都千本通りの大市ですっぽんの羮《あつもの》を食べたとき、はじめて、
『なるほど』
 と思った。
 それに味をしめて、それからは東京であっちこっちとすっぽん専門の割烹店《かっぽうてん》を尋ねて歩いたけれど、料理の方が拙いのか、材料が劣っているのか、京都で得た味覚とはまことに比較にならない。幻滅を感ずるとは、ほんとうにこのことをいうのであろう。幸い、私には西陣に親戚があったので、関西に旅するたびにそこを訪れ、大市から取っては義兄と二人で、その贅餐《ぜいさん》に喉を鳴らした。

     二

 そんな訳で東京にいては、すっぽんのことを全くあきらめていた。ところが、四年ばかり前であったか、偶然御手洗邸を訪れると、主人と相対する晩酌の卓上に、すっぽんの羮の鍋が運ばれた。碗の縁を啜って、口腔に含むとその媚、魔味に似て酒杯に華艶な陶酔を添えるのであった。上方の料理には不自然な調味が加え
前へ 次へ
全13ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐藤 垢石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング