川の鮎よりも一段と勝っていたことで、温泉の宿でこれを塩焼きと味噌田楽にこしらえて舌端に載せた味覚は、永く私の記念となろう。けれど、この頃|魚漿《ぎょしょう》の饗饌《きょうせん》には少々飽いたような気がしている。なにか他の、豊美な滋味を味わってみたい、と一両日来、考えているところへ、蝶子夫人からのたよりであったのである。
 すっぽんの濃羮《のうこう》は、昔から美食の粋として推されている。ところが、私の少年のときの思い出は、大しておいしいものではなかった。私が十二、三歳の頃であったであろうと思う。夏の出水の跡に、村の川の橋普請があった。私の父も、村の役人として普請の監督に出ていたが、ある日古い石垣を組み直すとき、土方が一匹の大すっぽんを捕らえた。その夜、この大すっぽんを私の家へ持ってきて、すっぽん汁をこしらえ、これを炉の自在鍵に吊るした大鍋から、十数人の村人が五郎八茶碗に掬って、おいしそうに啜った。そして、雲助のような髭面に、濁酒《どぶろく》の白い滓《かす》をたらし、あかい顔で何かわめいていた人達の姿が、いまでも私の眼の底に残っている。私にも一碗だけが裾分けとなったのである。だが、甚だおい
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