私の村との、ほぼ中間に殿田用水の石橋がある。石橋の手前の方二十間ばかりは、路《みち》の両側に桑畑が森の如く茂り合っている。路の幅は、一間半あるかないか。
 永き夏の陽《ひ》も、西に没して空の茜《あかね》色も消え去り、行く手のほの暗い東天低く、宵の明星がきらめき光っている。鬱蒼《うっそう》と茂る桑畑の路に歩を進めると、ここはもう淡暗だ。
 理屈があったわけではない。予感があったわけでもない。桑畑と桑畑との間の、うすくらがり路へ一歩入ると、私の背中は俄《にわか》に、ぞくぞくした。
 甚だ妖《あや》しき、ぞくぞく感である。これは妙だと思った途端《とたん》。
 その途端に、私の眼に映った異形のものがある。路の左側の、桑畑の茂った上に、淡墨色の空を背景として、しゃもじ形の怪物が、にょろにょろと浮かび上がった。しゃもじは昔から農家で使うところの、木彫りの味噌汁しゃもじだ。
 大きさは、およそ畳一枚くらい。しゃもじの柄は、くらげの足のように、ゆらゆらと揺らいでいるではないか。色は、漆黒。
 真っ黒な大しゃもじは、しばし私を睥睨《へいげい》するように、のし掛からんずるようにして、宙に止まり浮いている。
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