四千人ばかりにて上京、まず粟田宮、鷹司公父子を遠島に処し、近衛三条両公を知行所に押し込め、次に鳳輦を彦根城に遷し奉る計画であって、既に城を修繕し、領内湖浜の村々へは御用船数十艘を命じ、かつ領内米原において大屋根船一艘の製造に着手している――
 などという蜚語《ひご》が乱れ飛んだ。
 そして、八月上旬から毎夕、酉刻頃彗星天の西北隅に現われて戌刻に隠れ、毎暁寅刻に至って再び天の東北隅に現われる。はじめのほどは、光芒長さ三、四尺ばかり、その形箒を逆さに立てたようであったが、次第に長くなって後では幾丈にも伸びて行った。
 九月に入ってからも、それが消え去らなかった。祈祷師の六物空万はこの彗星を占って、『兵乱の兆である』と上書したのである。
 されば、井伊大老の謀叛を信ずるものが段々と多くなり、畏くも主上をはじめ奉り、堂上の志徒は極端に激昂したのであった。

     四

 一人が、社務所へきて、
『お札の[#「お札の」は底本では「お礼の」]一枚頂戴いたしたい』
『ご信心のことでご座ります』
 役僧がお札を[#「お札を」は底本では「お礼を」]差し出すと、それを受けとりながら、
『ご境内の雪景色
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