お化《ば》けえ』と言って声を細くし、両の掌を眼の上へあげると、大人が『怖い怖い』と、眼を掌で塞ぐ体を、幾度も執拗に強いるのと同じことを、将軍は登城のたびに繰り返した。
口中医はついに耐えられなくなって、病と称して引きこもったそうである。
三
伊達宗城は、家老の松根図書にこんなことを話して聞かせた。
――この将軍は、癇癪の発するや、賜謁の際と雖も眼を繁く叩き、口を歪《ゆが》め、膝を上下するに、進見のもの辛うじて、失笑を禁ぜしほどであった――
さらに、家定のからだには足りないところがあったのを、福地桜痴居士が『幕末政治家』に語っている。――この癇癪は、少壮の頃、ふとしたことより男女の交わり叶わなくならせ給いたれば――と記したが、場所が場所のことにあるだけ、世間を憚《はばか》って詳述を避けている。
ある時、越前慶永が閣老久世大和守に、
『大奥では、若君の生まれるのを待ち奉っている』
と、語ったところ、大和守はこれに、
『おのれらは心しても、子の生まれ侍るには困じぬれど、上《かみ》にはそれに事かわりて、御子生まれさせ給うべきも木《も》っ根《こ》この座さねば、如何にかはせ
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