ないことも思出されます。
両大師の際の学校の頃は、少し早く行くと、そこらの草原は露が深くて、歩けば草履《ぞうり》の裏がすっかり濡《ぬ》れるほどでした。寒い朝そこらに佇《たたず》んでいますと、北国から来た列車の屋根が真白に雪をかぶっています。それを珍しく見ました。私どもの教室へ、まだ洋行前の幸田延子《こうだのぶこ》氏が、よく参観に来ていられました。或時遠い教場から美しい声が聞えるので耳を傾けましたが、それは後の柴田環《しばたたまき》氏なのでした。
車で来る人は、私の外にも二、三人いました。跡は先生です。与吉は前にいったように無口ですが四、五人集まりますと、いつか与吉が親分らしく、外の車夫が手下《てした》らしく見えるのが不思議でした。私が帰る時に見ますと、外の車夫はすぐ車を引出しますのに、与吉はのっそり立上って、ゆっくりと来て梶《かじ》を跨《また》ぐのです。そんな時私は恥しくて、顔を伏せていました。腹の内では、また西洋へ書いて出す手紙の材料が出来たと思いながら。
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兄の帰朝
兄が洋行から帰られたのは、明治二十一年九月八日のことでした。家内中が幾年かの間|待暮《
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