したが、すぐ病室へ入るのを遠慮して、傍の部屋にいますと、水蜜桃《すいみつとう》の煮たのを器に入れて、嫂《あによめ》が廊下づたいに病室に入られました。あれが終りの頃の召上り物でしたろうか。
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踊
お兄様が陸軍へお勤めになった初めの頃ですから、私は小学生で十歳位でしたろう。その頃|北千住《きたせんじゅ》に住んでいました。千住は四宿といわれた宿場跡なのです。町は一丁目から五丁目までありますが、二丁目から三丁目までに青楼《せいろう》があり、大きな二階三階が立ち並んでいて、土地で羽振《はぶり》のよいのはその青楼の主人たちです。何かあると寄附金などを思い切ってするのでしたから。お父さんはそんな土地で開業していられたのです。初めは区医出張所といい、向島《むこうじま》から通っていましたが、それが郡医出張所となり、末には橘井堂《きつせいどう》医院となったのです。住いは一丁目はずれの奥でしたが、看板は表通りに掛けてありました。
もと土地の旧家の住いだったという事で、かなり広い前庭には樹木も多く、裏門まで飛石が続いておりました。普通の住居を医院らしく使うのでしたから、診察室、患者
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