鯛茶《たいちゃ》、鰤茶《ぶりちゃ》とはいうけれど、これはどうも、と眉《まゆ》を顰《ひそ》められたと聞きました。晩年の兄は、甘干《あまぼし》や餡《あん》などを御飯に乗せて食べられたと聞きましたが、その頃のことは私は知りません。
 明治四十年頃観潮楼歌会といわれるのをなすった頃、その御馳走《ごちそう》をレクラム料理といいました。会の度ごとに小さなレクラム本を繰返して、今度は何にしようか、と楽《たのし》んでいられました。自分の好き嫌いではなく、作るに手のかからず、皆さんのお口に合うようにとのお考でしたろう。それを調理するのには、洋食といえば一口も食べられぬ母が当りました。相談役は私です。ただ正直に、厳重にその本に依るのでした。材料だけは選びましたから、むつかしい物でないのは、食べにくくはなかったでしょう。立派な西洋料理、などといった人もありました。
 或時大きな西瓜《すいか》を横に切って、削り氷を乗せ、砂糖を真白にかけて、大きな匙《さじ》ですくって食べていられるところへ行合せました。いつものように、傍には読みかけの御本が置いてあります。終りの年のことです。大分重態になられてからお見舞に上りま
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