に見えています。
家の右隣は農家の畑地でした。左隣には大きな池があって、人の鯉屋《こいや》と呼ぶ家がありました。そこには気の少し変な中老の女がいて、お釜《かま》を洗って底の飯粒を寄集《よせあつ》めては、「おいしい、おいしい」というのが聞えるということでした。
その頃兄は学校の寄宿舎でしたろう。次兄と私とは小学校で、私はまだ小さかったのですから、寂しい田圃《たんぼ》の中の道を通うのに、雨降りの日など、いつも祖母に送ってもらいました。風呂敷包《ふろしきづつみ》を斜に背負い、その頃よく来た托鉢僧《たくはつそう》のような饅頭笠《まんじゅうがさ》を深々と冠《かぶ》り、手縫いの草履袋を提げた私の姿は、よほど妙であったらしく、兄たちは菌《きのこ》のお化《ばけ》だとか、狸《たぬき》のお使いだとかいって笑いました。
その笠に画いた墨絵は兄の筆でした。兄はよく四君子《しくんし》を画いたり、庭を写生したりしたので、童子が牛に乗って笛を吹いている絵を殊《こと》によく画きました。それがかわいいので、よくねだって貰《もら》ったものでした。明治四十四年に寺内《てらうち》陸軍大臣が引退せられる時、部内の高等官一
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