から、同藩の医|吉木蘭斎《よしきらんさい》というのが直ぐに迎えて養いました。「好い拾得物をなされた」と、人が羨《うらや》んだといいます。やがて娘に娶《めあわ》せましたが、幾程もなく順吉は藩を脱してしまいました。養父の失望、娘の悲歎はいうまでもありません。どんな事情があったのか知りませんが、「そんなことなら婚礼などしなければよいのに」と、人が噂《うわさ》をしたそうですから、いずれ無情な行動があったのでしょう。その時になって、始めて誰も祖父の目利《めきき》の違わなかったのを感じました。
順吉は脱藩後|仏蘭西《フランス》語を修め、忽《たちま》ち上達して、江戸で徒を集めて教えていました。明治初年になって、前に述べた西周氏が洋行から帰って、西三筋町《にしみすじまち》に住われた頃、沼津に軍黌《ぐんこう》が出来るからとのことでその主務教頭となるように勧められて承諾しました。その時順吉が尋ねて来ることが度々に及びました。新知識に接するためでもあり、森家の親戚という意もあったのでしょうか。ところが西氏の沼津へ立たれる前に来ると約束して置いて、ついに来ませんかった。順吉と同宿していたのが津和野の人で、後
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